皆が大好き












何気なくテレビを見ていたら動物園が映った。
利守が動物を見ていいなぁ、かわいいなぁと言う。
俺はそれに昔を思いだした。







まだ幼い頃。
俺は幼稚園に保育園にも行っていなかった。
理由は修行があるから、と。
使えるようになったばかりの結界術の制御が出来ない子どもから目を離して大勢の子どもの中に放り込むことは危険だから、だ。
それで俺は家で大人しくていたかというと、隣の家にこっそり行って時音と遊んだり色々していた。
だけれど、その前は自分で家の外に出ようと思うことはなかった。
時音と遊ぶことを知る前のこと。





修行の一つに式を作るというものがある。
式は結界とは全く別物で、俺はそれが未だに不得意だ。
不得意というのは、式が使えないという訳ではなく正確な生き物の形を取って動かすのが苦手だ。更に言えば人の形にする式は不得意中の不得意で思うように動かせないこともある。
俺の姿をした式だって未だに時々失敗する。
幼い頃はただ白く、形だけ人の式だって中々つくれなかった。
そんな俺に、兄貴は大きな動物の図鑑をくれた。
兄貴はそれを見て式を作れと言ったのだ。
多分それは人型よりも動物の方が早くものにしやすいかもしれないと考えたのだろう。
その時の兄貴は小学生で、放課後真っ直ぐに家に帰ってきては俺の修行を見てくれて。
だから俺もその期待に応えたくて図鑑を見つめてはそのままの形を式に移すという作業を延々と続けた。
長い時間それをして、ネコやら犬やら、派手でよくわからない鳥やら、沢山の気に入った動物を式にした頃に兄貴は帰ってきて、道場の扉を開けて絶句した。
あの時はただ、俺が式を沢山つくれたことに驚いたのだと思ったのだけれど、それは全くの勘違いだった。
後々それを兄貴にからかわれたりもするほど、俺は無知な子どもで。
けれど、それは仕方がないことだったのだ。

俺が作った式は、何体かは紙に戻っていたりもしたけれど、殆どはその動物はネズミ程の大きさで統一されて、ぴくりとも動かず道場に転がっていた。
それはそのまま図鑑の写真が立体化しただけ。
けれど、それは動物の形をしたおもちゃが転がっているような風景でぞっとしたと兄貴はずっと言っていた。

兄貴は父さんと相談したらしく、次の休みに俺を動物園と水族館に連れて行ってくれた。
そのとき俺は初めてちゃんとした生きた動物に触ったのだ。
うさぎとか馬とか、触れるものだけだったけれど。
動物がどんなに大きいのかとか、暖かいのかとか小さくて弱いのかとか。
そんなものを知らずに結界師はできないのだと、兄貴に言われたことはずっと忘れられない。
幼かった俺はどういうことかよくわからなかったけれど。
最初で最後になっている、兄貴とどこかにでかけて楽しんだという思い出になった。










「利守」
「なに?」
「今度兄貴が帰ってきたらさ、一緒に動物園、行こうぜ」
「ホントに?三人で??」

目を大きくさせて驚いた利守に頷いて、俺は兄貴へメールをした。











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多分帰ってきて欲しい口実に使ったのだと。
08/05/06

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