夏の終わり
それは偶然だった。
夏が終わりかけ、雨が増えてきた頃。
偶々仕事現場から直帰だった西条が見た光景。
雨の中、横島がただ、橋の上から河をぼんやりと見ていた。
日も暮れてかなり経っていた為、車内の西条からその表情は読み取れない。
けれど、雨の中ただ立っているのは異常である。
だから西条は車を横に駐め傘を持って慌てて横島へ声をかけた。
「何やってるんだい!」
「…西条?あんたこそ」
「偶々通りかかってね。僕の車で送ってあげるよ」
「でも、濡れるけど」
「いいよ、そんなケチじゃない」
「…じゃあ、乗る」
うつろな表情でもしているのかと思ったが、横島は案外普通の態度だった。
濡れているのに、なんでもないような顔をして、西条の車に乗り込む。
ただ、やはり遠慮はしているのか、端で出来るだけ身体を小さくしていた。
それは震えているようにも見え、夏なのにどれだけ長い時間、雨に濡れていたかがわかる。
「何をしてたんだ?」
「…ルシオラが、綺麗な水が見たいって。流れる水…」
「……ルシオラ…?まだ、君の中に…」
驚いて西条がバックミラーで横島の様子を見るが、横島は下を向いていて表情が分からない。
「いた、んだけど。今日、さっきホントに、話せなくなった。今までは、ちゃんと俺の中にいるってわかってたのに」
「………」
「最近、段々会話できる時間が減ってって。だから、多分ルシオラも分かってたんだ」
「だから、あんなところに?」
「ルシオラは蛍だから、綺麗な水を見せて元気になって貰いたかったけど、そんな水、近くにないし」
「…喜んだかい?」
「…ありがとうって言って…。消えた」
ぽた、ぽたと水音が聞こえた。
窓や車体を打つ篭もった雨音ではなく、直ぐ後ろから。
車内は無言になった。
「ついたよ」
西条の声で横島が顔を上げると、それはそれは煌びやかな玄関が見えた。
それは決して横島の小汚いアパートの前ではない。
「え、は?」
「濡れてると目立つから、そこにあるコートを着て」
横を見ると、黒いコートらしき布の塊があった。
運転席のドアから西条が出て行き、それを掴んで迷っているうちに、勝手に横島の横のドアが開く。
ホテルのボーイだった。
慌てて車外に出ると、他のボーイが西条の車を運転し、何処かへ行った。
それを不思議に思っていると手からコートが取り上げられ、肩に掛けられる。
「駐車場に行ってるんだよ。キミ、タオルか何か持ってきてくれるか。この子が雨に濡れてしまってね」
「かしこまりました」
直ぐにボーイは数枚のタオルと、スリッパを持ってくる。
取り上げられた靴は後で部屋に持って行くと言われ、横島が我に返った。
「さ、西条!」
「君のすきま風が吹く小屋だと風邪を引くだろ?雨が止むまでいればいい」
「こ、小屋て!そら、こんなホテルに比べたら小汚いけど!」
「騒がないの。目立つよ?」
言われて、はっと周りを見渡すと二階まで吹き抜けのロビーにいた人間が数人こちらをチラチラとうかがっている。
しかし、ホテルマンは我関せずと言った感じで黙々と自分の任についてた。
それは西条と共にいるからなのだが、確かに自分の雨に濡れた姿はその場に似つかわしくない。
思わず黙ってしまった横島に西条がクスリ、と笑い自分の借りている部屋へと促した。
兎に角最初に身体を温めろと言われ、横島は広々としているユニットバスを借りた。
そこは横島のよくしらない黒や緑の入り交じった石造りになっていて、金属は全て金色。
ユニットというのに、浴槽は広々としているし、洗面台もこれでもかというくらい大きい。
金持ちはいいなぁ、と最早嫉妬するにも疲れる程だった。
服を脱いで適当に湯を出し、身体を洗っているとドアが開く。
着替えを置いておく、とだけ言って西条は直ぐに出て行った。
ちらり、とその着替えを見るとどうやらバスローブらしい。
それも、黒々とした。
嫌な趣味だな、と思って横島は軽く笑った。
黒々としたバスローブを着てバスルームから出ると、ホテルマンが出て行った所だった。
「君の服は乾いたら持ってきてくれるから」
「……それ、」
「ああ、夕食まだだろ?」
「……」
タダメシ、それも豪華なホテルのルームサービスにありつけるのは横島にとってありがたいことだ。
けれど、食わせてくれる相手が西条で、それもなんだか今日はつんけんした態度がない。
確かにいつも食って掛かるのは横島で、今日はそれをしていないのだけれど。
温まった身体とは逆に、冷静になった頭で判断すると一言。
「なんか。きもい…」
「…君、ねぇ!人が折角親切にしてるのに…っ!」
案の定、西条は怒り出す。
いつもと変わらない西条の態度に横島もやっと安心した。
「兎に角席に着け。生憎僕は、大人だからね。一度拾ったものには責任を持つんだよ」
西条のホテルは、以前横島が襲撃をかけたホテルではなかった。
また、キヨという身の回りの世話をする老女もいなかった。
それを横島が訊くと、
「今、キヨが体調を崩していてね。仕事柄24時間いつでもサービスを受けられるホテルに移ったんだ」
だ、そうだ。
以前のホテルもそれは豪華だったが、このホテルの部屋は螺旋階段があり、その上はロフトになっているようだった。
ホテルなのにキッチンもあったし、勿論ダイニングテーブル、リビングには大きな黒い革張りのソファとテーブルがあった。
ロフトの他にも部屋があり、客室だそうだ。
ホテルなのに。
なんて奴だと思ったが、横島は折角おごってもらえるので言わないことした。
ダイニングテーブルには白いテーブルクロスがかけてあり、その上にフルコースではないが華奢なほど小さな料理が沢山並べられ、スープやパンもある。
西条のグラスにはワインとおぼしき液体が注がれ、横島のグラスにはややオレンジがかった黄色い液体が。
「…それ、オレンジジュースか」
「そう。君、未成年だろ」
「…だからって」
「コーラがよかった?」
「………も、どっちでもいい」
席に着くと、西条はどうぞ、と笑ったので横島は少し痒い、と思った。
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基本、西条はジェントルだと思います。女性と子どもを癒しの対象としている節が見受けられるので、横島を「子ども」と見なした場合は優しいと。
2007/9/5〜24(日記)
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