ゆずの香り








墨村家では冬のゆず湯は楽しみの一つだった。
特に正守が夜の勤めに出だしてから、子どもが風邪を引かないようにと父が庭にゆずの木を植え、それがなっている間ゆず湯を楽しんでいる。
だから良守は産まれた時から冬の一定期間ゆず湯、というのは当然のことだった。













「握りつぶすな、良守」

ぷかぷかと浮いている丸ごとのゆず。
本来は輪切りにして浮かべるのだけれど、良守が喜ぶのでいくつかは切らずに丸ごと入れている。
それをいじっていた良守が、正守が目を離したすきに握りつぶしてしまった。
種やら果肉やら、が風呂の底へと沈んでいく。
これはそのまま流してしまって良いのだろうか、やっぱり詰まるだろうから後で取らないといけないだろうなぁと正守は溜め息を吐く。

「なぁあにき、なんでゆず、風呂入れるんだ?」

生意気にも最近は正守を「兄ちゃん」ではなく「あにき」と舌っ足らずで呼ぶ兄と祖父にだけ反抗期の弟は、ゆず湯のときはご機嫌になる。
香りとその浮かぶゆずが楽しいのだろう。
そんな弟は産まれてからずっと冬の少しの時期ゆず湯に入る訳を知らなかった。

「今日が冬至だからだよ」
「とうじってなに」
「一年のウチで昼が一番短くて夜が長い日。夜が長い分、妖も沢山出るからな、覚えておけよ」
「ふーん」
「そんで、冬至の日はゆず湯ってきまりなんだよ」
「でも、今日だけじゃないじゃん」
「ゆず湯は身体があったまるんだよ。だから父さんが寒い時期に入れてくれるの。おまえもゆずが入ってると長湯してくれるし」

言いながら正守は浴槽につかる。
兄と向かい合わせになるように身体をずらした良守はもう一度ふーんと言ってゆずを握りつぶす。
そして手の匂いを嗅いだ。

「お前な、掃除しろよ」
「流せば」
「つまるだろ」

仕事が終わると、朝方まで時間もないし、二人は一緒に風呂にはいるようにしている。
普段は眠気で朦朧として、殆ど兄に身体と髪を洗って貰うことをませっきりにしている良守は、意識がハッキリしている状態で湯船に二人でつかっている状況が気まずいらしい。
成長するにしたがって方印を意識した弟と、その弟を意識せざるを得なくなった兄の間柄が少しずつ変わり始めていることを良守も気付いている。

暫くの沈黙が流れ、耐えきれなくなったのは兄だった。
良守の脇に手を入れて抱え、風呂から良守を出す。

「ほら、今日も学校だろ。掃除しておくからもう寝ろ」
「ん」

頷き、足早にそこから去る弟を見つめてから、正守は底に落ちてしまったゆずの種を拾い集めた。


















「ゆずの匂いがする」

数年経って、殆ど一緒に風呂にはいることの無くなった兄が弟の手の匂いを嗅いだ。
包帯のないその手は、四角い模様が浮き出ている。
思わず手を引いてしまいそうになったのを、正守はぐっと掴んだ。

「お前、まだゆず握りつぶしてんの」
「…握ってる、だけ」

時が経つに連れて、兄弟の関係は随分変化した。
例えば、仕事終わりに風呂に入った弟を待ち伏せした兄がいるのを知っているのは良守だけ。
そしてこっそり帰ってきた兄を見て罵倒するでもなく目を伏せ、きゅっと肩に掛けてあるバスタオルを握る弟を見ることができるのも正守だけ。

「むかし、」
「ん?」

目を瞑り、弟の手の匂いにうっとりとしていた正守は震える声に弟を見つめた。
逸らされたままの瞳の周りはうっすらと赤い。風呂上がりだけがその理由ではないだろう。

「おれが、一人で烏森に行くようになって、お前が出て行くまで、」
「うん」
「冬至の日だけ、新しい湯が張ってあって」
「うん」
「…ゆずが浮かんでて。兄貴が、したんだろ?」
「さあ。覚えてないよ」

言葉と共に正守は掌の中央を舐め、震えた弟の身体を抱き上げ、尻の下に腕を入れて座らせる。
途端にゆずの香りが強くなったことに正守は満足げに笑った。


















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最初のは兄貴12歳、弟5歳くらいで。
柚子の背景写真が見つかりませんで、まっ白です。でもま、いいかと。


最後の会話、分かりにくいと思うんで説明です(説明がいる話を書くなといつも言われるんですがssに入れられなかったので…)。いつも仕事上がりに入るお風呂は他の家族の入った後の残り湯を追い炊きしてるんです。勿体ないから。
んで、よっしが烏森デビューしてから冬至の日だけ正守がその湯を張り直して、真新しい柚子を入れてたと。理由は正守だけが知るということで(汗)。

んでも偶に眠気で倒れた弟を、烏森から先に戻った兄貴(様子見帰り)が発見して風呂に入れているのとかがいいなぁ……とか思います。


07/12/22

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