ヴァレンタインは遠い空の下で
ヴァレンタインということで、良守はブラウニーを作って夜の烏森へ向かった。
今年は時音だけでなく閃や秀もいたので四人で食べて、偶に小物の妖を滅して。
今日はそんなに妖が来そうにないから早く上がりましょう、という時音の声に従って閃と秀は帰って行った。
良守も、少し逡巡したのだけれどカラになったケーキの箱をディバッグにしまうと時音より遅れて烏森を出る。
雪でも降るんじゃないか、と思う程冷たい風の中良守がのんびりと歩いていると、後ろから良守、と聞き覚えのある声がした。
びっくりして慌ててふり返っても、声の主はいない。
それに、その人間が嫌いなはずの斑尾がまだ良守の横にいる。
空耳かぁ、と少し嬉しくなった自分の溜め息を吐いて、前をむき直すと額に何かが当たった。
「で!?」
「おやおや」
額にぶつかったままのものを片手で掴もうとしたのだけれど、その寸前で何かが離れていった。
そしてもう一度、その場にいない人間の声で「良守」と名を呼ぶ。
斑尾は楽しそうに眺めていた。
「…兄貴の式かよ」
良守にぶつかったのは真っ黒な烏で、胸の当たりに四角い模様がある。
自分の手に出ているものとちがって白いそれは、墨村家がその名の通り墨の色の式(主に烏など)を作る時に浮かび上がるものだった。
その烏の行動は兄そっくりだ。
式だから気配が薄いことは当然だろうけれど、呼んでおいて振り向いた自分の背後に回る所なんて、気配を殺しまま自分を観察する悪趣味な正守の式なだけある。
何のようだ、と思いながらも式が余計なことは喋れないことを知っている良守は、式が嘴で手のひらより少し大きい程度の、小さな紙袋をくわえていることに気付く。
どうやら先程良守にぶつかったものはその紙袋のようだ。
式が持ってきた、ということは自分が受け取るんだろうなと思い良守が手を差し出すと、式がそこに紙袋を置く。
「なんだいそれ?」
「さあ」
問いかけてくる楽しそうな斑尾を適当にあしらって、袋を逆さにして中身を出す。
できたのはチョコレート色の小さな箱に同じくチョコレート色のリボンが結ばれているものだった。
正方形のそれからリボンを寒さのせいではなく震える指で解く。
今日が何の日か、恐らく墨村家で最も意識している良守は答えに一つのことしか思いつかない。
そして、案の定箱の中には四つの小さな茶色い塊が。
「おやおや、あんたの好きな西洋菓子じゃないか」
「チョコレートだよ」
知っているクセに、と少し頬を赤く染めた良守に睨まれた斑尾は楽しそうに良守の肩に巻き付く。
それをほっといて、良守は一つ、四角いチョコを食べた。
中には甘酸っぱい苺のジャムのようなものが入っていて、良守の好みの味だ。
うまいなぁ、良守が感激していると斑尾があれ、と声を上げる。
自分では買えない高価そうなチョコを食べて、自分の世界に浸ろうとした良守は不満げに斑尾を見る。
その視線の先には先程の兄の式が。
「なんだよ」
「正守の式、まだ消えないよ。まだ用があるんじゃない?」
「あ、そういえば」
式というものは主人の命令をこなすと普通は消える、若しくは、主人の下へ戻り次の命令を待つ。
けれど、この式はそれらをせず、何かを待つように良守の目の前で浮いていた。
まさかなぁ、と良守は思う。
「お前、なにかほしいの?」
式に問うても言わないだろうと思うのだが良守は聞いてしまう。
けれどやはり、式は何も応えない。命令された以上の言葉は話せないのだ。
溜め息を吐いて良守は肩にまとわりつく斑尾をどかすとディバッグから箱を一つ取り出す。
正守が式に持ってこさせたものより少し安価に感じるそれを良守は、チョコレートの箱が入っていた紙袋に入れると式に差し出した。
「ほら、主人に持ってけ」
式は紙袋を受け取り「確かに受け取ったよ」と正守の声で言うと、途端に空高く舞い上がり何処かも知らない遠くへと飛び去る。
それを見て斑尾はけらけらと笑った。
「なんだい。結局正守はお前からほしかっただけじゃないか」
「兄貴はそーゆー奴だよ」
なんて言いながら、良守は渡せて良かったと内心思う。
兄は仕事で忙しいから来ないだろうとは思っていたのだけれど、やっぱり来れないようでがっかりしたのだ。
折角頑張って生チョコを作ったのに。
それも今年は時季はずれで缶詰のしかなかったけれど、生チョコの中に入れたダークチェリーをブランデーで煮込んだものが上手にできたので、食べて欲しかったのだ。
こちらから送りたくても兄のいる夜行の場所を知らなかったし、知っていたとても仕事で留守にしているかも知れない。
だから諦めて自分で食べようと思っていた。
それに思わずも正守から高そうなチョコを貰えた。
会えなかったけれど、どれだけ先に会えるかわからないけれど声は聞けたし。
遠い空の下、思っていることは同じなんだなぁとなんだか安心しながら良守は寒い中自宅への歩みを進める。
小さな、けれど大切な思いが込められたチョコレートを味わいながら。
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まっさんはご多忙の為駆けつけれませんでした。
でもきっと「閃とか秀とかが食べるのに俺が良守からのチョコレートを貰えないなんて許せん!」と思ってるのだと思います。
08/02/14
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