precious
それは偶々正守が帰省して、こっそり上から良守の仕事ぶりを観察している時のことだった。
偶々ではあるのだけれど、良守へ隣の家の幼馴染みの少女や妖犬たちの態度からそんなに珍しいことではないことを正守は悟る。
良守が、妖を滅する直前腹部への打撃を喰らっていた。
弟の仕事が終わる頃を見計らって、先に帰宅し良守が風呂から上がるのを良守の部屋で待つ。
普通に歩いている所から、内臓への支障はなさそうだったが、腹部への攻撃は油断すれば死にも直結することがあるのに、と正守は少し苛立つ。
正守でさえ危険な仕事があり、それは傷を恐れてはいられないこともある。
しかし、良守の自分の身体への配慮のなさは正に、「死にたい」と言っているようなモノだった。
勿論、良守が本当にそんなことを思っている訳はなく、ただ自分の頑丈さに甘えているだけだろうけれど。
苛立つ正守が待ち受けることも知らず、呑気に良守が自室の襖を開けた。
消して出て行ったはずの蛍光灯がついていて、一瞬、眩しさに目を瞑るがその瞬間前に見えた姿に良守は襖を閉めた。
そして、もう一度こっそり開けて隙間から中をのぞき見る。
「なにやってんだ」
「……おまえこそ」
自分の部屋にいるモノが確かに兄だと認めると、良守は襖を開けて兄を睨み付ける。
しかし部屋に入ってこようとしないのはある種の警戒の為だろうと、正守は溜め息を吐いた。
「説教してやりたい所だが、まぁ、それは明日にしてやるからさっさと手当させろ」
正守がそういうと、良守は小声で、「また見てやっがったな…」と呟いて目線を逸らし、それでも躊躇いながら室内へ足を踏み入れ、兄が座っている自分の蒲団の上に座る。
それを確認してから正守は置いていた壷を開け、薬を手に取ると良守に寝間着を脱ぐように言った。
今度は素直に服を脱いだ良守の赤く腫れた箇所へ練って柔らかくした薬を塗り込める。
「すーすーするんだけど」
「打ち身の薬だから当然だろ」
何を言っているんだという目で正守が良守を見ると良守は黙る。
それに寒いのかと勝手に納得した正守が暖房のスイッチを入れた。
しかし、実際の所、良守はあまり打ち身の薬を使わず、偶に時音が置いていく薬を使う時以外は殆どほっておくので薬の性能は質を知らなかっただけだった。
それを兄に知られることがなかったことを胸の内で安堵の息をつく。
丁寧にゆっくりと、体温と同じくらいになるまで正守は良守の腹部へ薬を塗るのに何故か良守は緊張して、つい腹部へ意識して力を込めてしまう。
それに気付いた正守が少しだけ手を止めて、筋肉の付き加減を確かめるように押してきた。
「いっ」
「ああ、ごめん」
腫れている所を押してしまったことを謝ってから正守はタオルで手を拭いて、良守の腹部に布を当て、その上から包帯を巻いていく。
手慣れたその手つきに良守は、兄がこうやって人の手当を、或いは自分の手当をしなれているのだろうと思った。
それに対して口は出さないけれど。
だけれど、その事実が時音が傷つくのと同じくらい良守にとっては苦痛だった。
巻き終えた包帯を留め具でほどけないように固定して、正守は具合を確かめるように良守の腹を撫でる。
それから、ぽつりと。
「筋肉ついたなぁ」
と零した。
言われたないようより、兄の声がなぜか淋しそうで良守は驚いて何も言えない。
けれど、正守は気にしていないように撫でながら言葉を続ける。
「昔はぷにぷにしててさ。腹だけじゃなくて腕も足もやわらかかったのに」
酷く残念そうな声色が良守には不思議でたまらない。
「お、おれだって毎日筋トレしてるしっ」
「ふーん」
兄の手を避けようと身体を捩るが、そのまま正守は蒲団に良守を押し倒し、自分もその上にのし掛かって良守の腹部へと顔を埋めた。
そこは薬のつんとした匂いがして、正守はイヤだなぁと思う。
弟の腹筋が硬いのもイヤだし、こうやってその傷や痣に薬を塗っているのもイヤだった。
昔はこんな酷い怪我、良守はしなかった。
いや、正守が守っていた。怪我をしないように。
柔らかい肌に、たった一本の糸のような傷でさえつけたくなかった。
正守にとって子どもだった弟の柔肌は守るべきモノの象徴だった。
なのに、もう良守は昔程、柔らかくなんてなかったし、傷だらけでも平気な顔をする。
急に、弟の成長を見逃してしまったことに愚かなことをしたと惜しんでしまった。
「重いんだけどっ」
「ホント昔は怪我が恐くて泣いてたくせに」
「いつの話だ!」
「俺がいた頃だよ」
良守は正守の頭に手を置いて、押し退けようとするが正守は気にせずイヤだなぁと繰り返す。
何がイヤなんだと、良守は思った。
こちとらイヤだと思っても我慢しているのにと。
良守にとっては正守の行動全てがイヤだった、出て行ったことも帰ってきたことも。
何もいわないから全てがわからない。そのことがイヤで仕方がないけれど兄は応えてくれないから良守も問うことができないのに。
「俺、寝たいんだけどっ」
「俺も寝たい」
「じゃあ、自分の部屋に戻れよ」
「俺の部屋寒いんだよねー」
「はあ?」
「暖房も効いてきたし、一緒に寝させてくれよ。昔は一緒に寝たことあるだろ」
何故だか、正守が甘えたに見え、良守はおかしくなった。
人の怪我がイヤだイヤだと繰り返している様子がまるで子どものようで、けれど兄は子どもの頃からしっかりしていたから、そんな兄を良守は初めて見たのだ。
そんなに、良守の怪我が応えたのかと思うと良守はくすぐったい。
しかたねぇなぁ、と良守は兄を見て、電気、と呟く。
それに今思いついたように、正守は起きあがって蛍光灯の紐を二、三度引っ張った。
暗くなった部屋に少しの月明かりが入り、正守はもう一度良守の腹の上へと頭を置いて目を瞑る。
そこには確かに血液が流れる音がして、正守はまるで母の腕に抱かれているような安心感に包まれた。
-------------------------------------------
暫く間が空いてしまったのでリハビリに原点回帰で。
兄貴甘えたなのは最近の兄貴像です。
タイトルはそのまんま「惜しむ」とか「大切な(子)」みたいな。
08/03/02
閉じる
|