土曜日の嘘
兄貴と喧嘩した。
原因は疲れてるのに襲ってきて、イヤだって言うのに最後までされたことだ。
どう考えても俺は悪くないのだが、言い過ぎたのは俺で。
反省のない兄貴に腹が立ってさんざん罵倒して、それでも平気な顔をされたのがプッツンきて。
「おまえの顔なんて見たくもない」のようなことを言った。
その瞬間の兄貴の顔は怖かった。
俺が初めて兄貴に方印を隠そうとしたときよりにされた顔よりも怖かった。
無表情なのに目だけがどんどん冷たくなっていって、上から見下ろされるとまるで断罪を待つ罪人のような気分だった。裁くのは確か閻魔様だっけな。俺は閻魔様だってあんな顔しないと思う。
最後に兄貴は「じゃあ、二度と来ないよ」とだけ言って、その場から消えた。
二度と来ないという言葉に心臓が凍るような思いをした俺は、引き留めることも出来ず呆然としてしまった。
三年間、まったく帰ってくることのなかった兄が最近戻ってくるようになったのは俺との仲が少しずつ良くなってきたからだ。多分。これくらいで、もう来ないなんて…そんな訳がない、と自分に言い聞かせてその時は眠った。
それから一週間、何も連絡をしなかったが一週間と一日目の夜。
蜈蚣という人が憔悴しきった様子で俺を迎えに来たと言った。
「これから?」
「はい」
「絶対?」
「お願いします。このままだと夜行の存続も危うく…」
「兄貴がどうかしたのか?」
なんとなく心当たりがありすぎて、恐る恐る聞くと溜め息を吐かれた。
「…とにかくお願いします」
そう言われたら、俺のせいかもしれないし断れなくて、蜈蚣さんの乗り物に乗る。
初めて乗った時は景色を楽しむ余裕がなかったけど、今もない。
兄貴がどういう状態なのか知らないけれど、俺が行っても機嫌悪くなるだけかも知れない。
それでも、謝った方が良いかもしれないということがずっと頭の片隅にあったのをもうごまかせないと溜め息を吐いた。
「わざわざごめんなさい」
夜行につくと、奥の部屋に通され刃鳥さんが少し困った顔をして待っていた。
夜行に始めてきたけれど、なんだか夜なのに変な気配…というか大勢に見られていることが分かる。
息を潜めて色んな処から俺を見ている。
以前と違って敵意ではなく好奇のような、なんだか縋っているような。
「いや、…それで俺はなにをしたら…」
「…頭領がね、様子がおかしの。いつもおかしい人だけど、書類仕事はしないし、実務に至っては一人で土地神級の妖を倒しに行くってホントに倒してくるし。苛々しているのを隠そうとはしているのだけれど、周りも敏感だから怯えちゃって…。実家に戻るように進めたら、戻れないって…」
何気に上司に言うようなことではないことが聞こえた気がしたが、それよりも最後の言葉に身体が反応してしまう。
それを目敏く見留められて、後悔するが遅い。
「頭領がもしかして、なにかしたのかもしれないんだけど…許してあげて欲しいの」
「…兄貴はどこに?」
「自室よ、その奥の部屋」
言われたことには答えず、俺は言われた部屋へと向かった。
夜行全体を覆う兄貴の嫌な気に影響されたのか、俺の気もささくれだったような気がする。
そっと襖を開けると、思ったより静かで気怠げな気配に驚く。
肝心の兄貴は円い窓から外を見て、茶をちびちびと飲んでいた。
机の上には書類と一口も口を付けられていない団子。
団子に手を着けていないことにも驚きだが、兄貴がいくら気配を消したとはいえ俺に気付かなかったことのほうが異常すぎて、心臓が高鳴る。
兄貴は刃鳥さんが言うみたいに、苛ついているのでも怒っているのでもない。
ただ、凹んでいるのだ。そう思うと妙にどきどきした。
「あにき」
変に辿々しくなった口調に舌打ちを打ちたくなったが、それよりも兄貴がおもしろかった。
名を呼んだ時点でまだ俺に気付けなかったらしく、数秒俺を見て止まって。
するり、と手から湯飲みが落ちて。
「あ、つっ!!」
と、兄貴の膝の辺りに落ちて熱々だろう茶がかかったらしい。
「え、あ、よしもり?なんで?幻術か?ってか熱っ」
「布巾、取ってくる」
走って刃鳥さんの元へ戻り、布巾を貰う。多分そのときにやけていたのだろう、変な顔をされた。
けれど、もうそんなことどうでもいいので直ぐに戻ると兄貴は着物を着替えていた。
「火傷は?」
「してないが…おまえ本物?」
「呆けたのか」
「失礼だな。…寝てはないんだけど」
「……刃鳥さん困ってた」
「…そう。だから来てくれたのか」
くれた、という言葉に嬉しくなって頷きそうになったのを首を振ることに変えた。
取り敢えず、畳を拭いて書類が無事なことを確認する。
ついでにちょっと見てみたら、内容はわからないが、なにも進んでないらしくて笑った。
背後で兄貴の戸惑うような、迷うような気配もめったに感じることがない事実で笑える。
ここまでになっているとは思わなくて、素直に謝ろうという気になった。
「その、さ。言い過ぎた…と思ってる…んだけど」
背後で動揺した気配に、再度驚く。どんな顔をしているのか見たくて振り向こうとしたら、後ろから抱きしめられて、周りに結界を張られたのに気付く。
「結界、てなんで」
「…いや、ウチのヤツらってどこで聞いてるかわかんないから」
「……ふー、ん」
また引っかかる所があったのだけど、取り敢えず話が長くなりそうだし座りたいと言ったら、抱きしめられたまま、兄貴の足の間に座らされる。
肩口に兄貴の頭がこすりつけられた。
「また、会いに行ってもいいか?」
苛々してたのは兄貴の影響じゃなかった。
この場所が、悪いんだ。
自覚したくなかったことを今、はっきりと思う。
「…そーゆー風に言うな。ムカツク」
「えぇ?駄目なの?」
焦ったように兄貴が顔を上げて俺の身体をひっくり返そうとしていたので抵抗したけれど、向かい合わせにされた。
悔しいので下を向いたままで、兄貴の着物を掴む。
「…ムカツク。みんな自分のもののような顔するのは兄貴が悪い。兄貴が俺よりこっちが大事だって思ってるからだ」
「…よしもり?」
「ムカツクっ」
「待って、ちょっと何言ってるのかよくわかんないんだけど」
いくら凹んでて寝不足だからって、わかんねぇなんて兄貴はやっぱりそれを当然と思ってるんだ。
ここが、兄貴にとって一番だと思ってるんだ。
だから、「許してあげて」なんて俺よりも兄貴を分かったような口調で他人に言われるんだ。
悔しくて、俺は言って立ち上がった。
「帰る」
捕まる前に結界の端にまで行って、結界を解こうとした所で腕を引っぱられて抱きしめられた。
その拍子に情けなくも目の端に溜まっていた水が落ちて焦る。
見られないように、視線を下やった。
「ごめん、あのさ。寝不足でさ、頭回らないんだよ。なんで泣いてるんだ?」
「……戻ってこいよ。帰ってこいよ。いつだって、俺の顔見たくなくたって」
「なんでお前の顔みたくないなんて、なるの」
両手で顔を包まれて、濡れた頬にもう隠す気もなくなって目を瞑った。
はらはらと落ちていく涙を拭われて、ほう、と息を吐いた。
「キス、したいなぁ」
「すれば」
「でも、多分見られてる」
「は?」
驚いて俺は周りを見回した。
襖と障子はきっちり閉められているし、そこに人影も気配も感じない。
「透視できるのがいるんだ。多分、見てるだろうね」
「……プライバシーなしかよ」
「まぁ、団体で住んでるとそんなもんだよ。ああ、それが嫌なのか」
「…っ!」
今更言い当てられても、と思わず兄貴を睨んだ。
すると、微笑まれて言葉が出なくなる。なんでそんな反応をするんだ。
「難しいね、おまえも大事だし、家も大事だし。でも、ここも大事なんだ」
「…しって、る」
「だけど、いつか俺は必要なくなるから。そうしたら帰るよ。おまえの元に」
「…かえる、ってあの家に?」
驚いて見上げると、ふ、と目だけで笑われた。
「ああ、帰るよ」
「絶対に?」
「絶対に」
固く誓うように言われて、棘立った気が落ち着いていくのを感じた。
それに兄貴も気付いたのだろう、俺の頭を引き寄せて優しく撫でる。
昔、眠れなかった時にされたようなかんじで、一気に俺の眠気を誘った。
そういえば、仕事の後だった。
明日も、学校だ。
「ねむ…」
「単純だなぁ、良守は。安心したら、こんなとこでも眠れるんだ?」
「……うっせ」
「明日、朝一で送るよ。あと、仕事終わらせたらまた、すぐに帰るから」
「おう…」
「お祖父さんには式神を飛ばすから」
「…たのんだぞ」
それだけ聞くと、意識は急に沈んでいく。
布団を敷くから、と言われた気もしたけれど耐えることが出来きず、瞼を閉じた。
朝起きて一緒の布団で寝かされてた処を刃鳥さんに見られて慌てるのも、知らずに。
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兄貴が怖い顔をしたのはショックのあまりです。
二度と来ないと言ったのは言葉の文で、言ってから更に自分で凹んだんです。
だんだん兄貴がヘタレになっていく……。お、おかしいなぁ…。
タイトルは直太朗から(つまり、喧嘩をしたのが土曜ってことで)。
2007/09/07
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