プロレスごっこ
正守と良守、二人だけの居間で良守はふてくされていた。
机の上に置かれた食後の緑茶をずず、と音を立てながら正守が飲む音でさえ気分が損なわれる。
日常という場に、二人でいることが良守にとっては苦痛だったからだ。
なぜ苦痛なのに自室へ避難しないかというと、それは昼食後の滅多にないデザートのせいだった。
老人会で、繁守が昼間留守する日に戻ると言うことで、正守は珍しく洋菓子、つまりケーキを土産にしてきた。
勿論、繁守用の和菓子も忘れてはいないが、問題は正守が買ってきたケーキだった。
良守と同様甘いもの好きな正守が買ってきたケーキは近頃話題になっていた高めの店のもので。
良守のお小遣いでは店に行くのも躊躇われていた。
だから、ケーキは食べたい。
けれど、正守と一緒はイヤだとさり気なく良守は父にアピールしたのだけれど、正守が買ってきたのだからと却下されてしまった。
全くもって正論だったし、あまりにも嫌がってその理由を聞かれるもの困るので良守は渋々その場に残ることになってしまったのだった。
「良守、こっち向いてお兄ちゃんと話ししようよ」
隣に座るのはイヤ、かと言って向かい合うなんてサイアクだと良守はいつも繁守が座る上座に、正守に背を向け新聞のテレビ欄を眺めていた。
修行とお菓子と隣の家の幼馴染み以外興味がない良守が探しているのは、料理番組で。
その中でもお菓子を作る番組は少ない。
だから、テレビ欄の一つ一つを丁寧に見たい、と良守は思っている。
けれど、正守の茶を飲む音どころか少し動いた時に聞こえる畳が擦れた音とか、あまつさえ話しかけられてしまうともう、新聞に印刷された小さな字は良守の脳には届かなくなってしまう。
「良守」
「う、うるさいっ」
顔をこちらに向けなくても、男の子にしては少し長目の髪の毛の間から見える耳が真っ赤だから、正守には良守が照れていると言うことが手に取るようにわかる。
そう、本当のところ良守は照れているのだ。
顔を合わせば術のあれこれか、烏森のこと、もしくは、中学生には刺激の強すぎるあんなことやこんなこと、しかしない間柄なのだ。
兄弟なのに、と思うけれど彼らは兄弟だからこうなったのだと知っているからやめようとは思っていない。
だから日常という彼らにとっては非日常に二人きりで放り込まれてしまい、どう反応すればいいのか良守にはわからない。
彼らが家族として一つ屋根の下に暮らしていたのは正守にとってはそう遠くない過去だけれど、まだ14年しか生きていない良守にとっては遙か昔だったから仕方がないかもしれない。なにしろ、人生の半分近くも兄が不在なのだから。
さて、どうしようかと正守は思う。
照れている良守は可愛いけれど、家族の前で過剰な反応はよろしくない。
父は鈍いかも知れない、利守にはまだわからないことかもしれない。
けれど祖父は敏感に良守の変化を察知することだろう。
今は不在とは言え、これから先のことを考えると良守の態度だといつかただならぬ関係がバレてしまう。
家族を悲しませるのは正守にとっても本意ではない。ただ一名、母は面白がりそうだけれど殆ど帰ってこないので考えないことにした。
「良守、兄ちゃんと話、しよう?」
「しねえ!」
「なんで?」
「したくねーからしたくねーんだよバカ!」
「酷いな、良守は」
にやり、と良守からは見えないことが分かっていて正守はイヤな笑みを顔に浮かべ、良守の方を力強く引っ張った。
いきなりの暴挙に、緊張で強ばっていた体は簡単に床に転び、呆気にとられた良守は天井と逆さまな兄の顔をぽかんと見る。
そして、怒鳴る。
「なに、してんだよ!」
「良守が酷いからね、お仕置き」
イヤな笑みはとうに引っ込んでいて、兄らしい爽やかな笑みを顔に作った正守に良守は背筋が寒くなった。
なにかかんがえてる、なにかいやなこと。まさか、こんなところで、もうすこししたらとしもりがとうさんが。
と顔面蒼白になる良守を内心おかしく正守が眺めながら、良守の肩を掴んで体を回転させ、足を自分の方へ向けた。
いよいよ焦りは苛めた良守は、慌てて暴れ出すが力の差は歴然であっという間に正守は良守の右足を抱える。
「あにきっ、なにしてっ…」
「なにって、お仕置きって言っただろ?」
「おし、おきって!」
どうにか右足を奪還しようと蹴ってくる左足をくの字に折り曲げると正守は良守の右足に自分の両足を絡め、その姿勢を固定した。
襲われているには代わりはないのだけれど、妙な体勢になったことに気付いた良守が起きあがろうとするのだが、それと同時に良守の足に激痛が走った。
「い、いででででででっっ!!」
「おー決まった決まった」
「いでーーーっ離せ、いてーっっ」
相手の足を四の字にし、両の足の自由を奪った上で絞り激痛を与える。
そう、これをプロレス技四の字固めという。
「痛い、兄貴!ギブ、ギブ!!」
「そんな言葉知ってたのかぁ。でも男なら簡単にギブアップなんてしちゃいけないぞ」
「どうでもいいから、はなせーっ」
ばんばん、と畳を叩きもがき苦しむ良守を正守は首を起こして楽しそうに眺めた。
もう少しで落ちるかなぁ、と思っていると襖が開く音がする。
そちらに目を遣れば、驚いた顔の父と呆れ顔の末っ子が盆にケーキと飲み物を乗せてこちらを見ていた。
「もー駄目だよ。良守はまだ成長期なんだから変に骨が曲がったら困るでしょ」
「ごめんごめん。ほら、良守が生意気だからちょっと軽く、おしおき」
「あー…足、まだ痛い…」
「良守も、お兄ちゃんにあんまり我が儘言っちゃダメだよ?」
二人に注意しながらも、仲の良くないと思っていた兄弟が過剰だけれど兄弟らしいスキンシップを取っていたことに修史は嬉しそうだった。
末の弟はいいなぁ、僕も教えてと正守に強請っていたり、痛かった?と良守に訊いている。
そんなことを覚えてどうするんだと良守が聞くと、強くなる、と利守は年相応でキラキラな瞳をした。
その二人の雰囲気に飲まれてか、良守は正守を意識しすぎることなく隣に座ってケーキを口に運んでいる。
正守は一人、良守の変な緊張を解くことには成功したなとこっそり息を吐いた。
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なんとなく四の字固めをしている正守を思いついたので。着物が乱れまくり。
2007/11/25
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