つまりそれは
「抱きたい」
そう言った兄に、弟は困った顔をする。
「だくって、その」
「セックスのことだよ」
兄がその意味をずばり、と言うと弟は暗闇でも分かる程顔を赤くして俯いた。
兄がその言葉を言ったのは限界だったからだった。
拒絶されて諦めたいという、限界。拒絶され、冗談だよ、と言って終わりたかった。
けれど、弟は困った顔のまま顔を上げる。
「あにきは、どうして、俺をだきたいの」
どうしてと理由を聞かれれば答るしかない。冗談にしてしまえばいいのに兄は弟の拒絶ではない顔つきに期待せざるをえなかった。
「好きだからだろ。他に理由があると思う?」
「…きらいだから、じゃない?」
困った顔の原因はそれか、と兄は眩暈のする思いになる。
まるでそれは、思春期の息子と父のようだ。
叱る父に、愛情を疑う息子。
俺達は兄弟なのに、と普通の兄は弟を抱きたいとも思わないことを棚に上げて兄は思う。
愛してるからこそ、常に弟に厳しく接したのにと。
それにしたって「嫌いだから抱く」とは一体弟の中の兄像はどういうものなのかとも思うが、それはあとで問い質すことにした。
「嫌いなら、ここに戻ってきたりしない」
そう言って兄は弟の右手を愛おしさが伝わるようにと優しく自分の両手で包む。
暖かい手のひらには兄と弟を隔てる四角い呪があった。
それさえなければ兄と弟は普通の兄弟だった。そう、末の弟と兄のように。
けれどそれがあったからこそ、弟を守りたいと思った兄の心は愛へと進化した。
今はただそれが愛おしく、そしていつか神から弟を奪う目標になった。
「よしもりが好きだから抱きたい。いやならいい。答えだけほしい」
真摯に弟の瞳を見つめた兄に、弟は一言で応える。
「あにきが、俺のこと好きなら」と。
隣かのくしゃみが聞こえた。
それに浅い眠りから覚めた。
まだ、夜は明けてない。
正守は隣で眠る弟を見た。
むにゃ、と口をうごかしている弟がどうやらくしゃみをしたようだ。
寝間着を着せようと、そこらに散らかっている良守の服をかき集めた。
布団をめくると、15歳にしてはバランスよくついた筋肉とそれに刻まれた無数の傷跡。
そして、先程正守がつけた朱い痕。
体中に口付けたって物足りない正守は、一つ一つそれをなぞりながら、先程見た夢を思いだす。
あれは、弟を初めて抱いた夜のことだ。
兄を受け入れた弟の言葉は「兄貴が俺を好きなら」だった。
あれから一年と少し。
正守は一度も弟の口から「好きだから」という言葉を聞いていない。
弟はいつだって自分の感情のみに素直だった。
誰かのことを思って、の行動もあるのだが結局は自分で決めたことで。
誰かの決め事に左右されることなんて、ありえないのが正守の弟、良守だった。
それなのに、兄に抱かれるという選択をしたのは兄任せである。
兄がもう、抱かないと。
飽きたと言えば弟は素直に身を引くのだろうかと正守は思う。
または、他の誰かに求愛されればそれに応えるのだろうかと。
そうなりえない、と断定できる判断材料が今の正守にはない。
弟を信じられない。
それだけを言葉にすれば最低の兄だろう。
いや、14の子どもに手を出した時点で最低の大人だ。
しかし弟に翻弄されているのは自分だろうと被害者気分にもなって仕方がないのではないかとも思う。
一度も、好きだと言われてないのだから。
何故、この真っ直ぐでまぶしくて仕方のない弟が。
闇のような兄に抱かれるのか。
迫れば一度だって断られたことはない。
快楽に従順な、とまではいかなくともそれに従おうとする意志も見せる。
そこまで兄に許すのなら言葉の一つくらいあってもいいのに。
正守はどんな言葉でもいいから、弟の気持ちが聞きたいと思っていた。
その願いは一年前、弟が欲しくて堪らず限界だったときよりも、今の方が身体が手に入っているだけ切なくつのっていた。
もう一度くしゃみをした良守に、思考から戻った正守は寝間着を着せようとするが、目を覚ましてしまう。
さむい、と零されて慌てて寝間着を渡す。
けれど良守はそれを受け取るだけ受け取ってぼんやりと眺める。
「良守?着ないの?」
「…着るの?」
「寒いんだろ?」
「…しねえの?」
一瞬、正守は寝ぼけ眼の弟の言葉の意味が分からなかったが、直ぐに理解して驚く。
確かにまだ夜はあけてない。
けれど、先程したばかりだし。
良守だって睡眠を取りたいだろう。
正守に抱かれたい、というのならそれは嬉しいことだけれど。
「したいの?」
「…だって、帰ってないから、すんのかとおもったんだけど」
まだ寝ぼけているのかほわほわと、宙に浮いてしまいそうな喋り方で良守は話す。
その言葉は全部、兄の選択を受け入れるという受け身の姿勢だ。
正守はそれに気がついて、つい聞いてしまう。
「おまえは、俺としたいの?おまえはどう思うの?」
問われた良守はぱち、と一度瞬きをして兄を見つめた。
まじまじと見つめられて、問うた正守の方がおかしなことを言っただろうかと思う程真っ直ぐだ。
けれど、正守は今誤魔化したら二度と聞くことが出来ないだろうと引くことはしなかった。
「良守?起きてる?」
「起きてるって」
眠そうなのには違いないが、その口調は先程よりもしっかりしていた。
よ、と腕をついて起きあがると良守は正守を見直す。
「俺は、兄貴のしたいことしたい」
「…それは、お前のきもち?じゃあ、俺がもうしないって言っても?」
試しに正守が言ったことに、良守は驚いたのか目を大きくしてから顔を伏せる。
意外と長い睫が揺れた。
「兄貴が、したくないならしない」
「なんで?」
「だってこういうの、って片方の気持ちだけじゃだめじゃん」
「こういうのって?お前の気持ちって?」
問いつめれば、聞きたい言葉が出るような気がして正守はついたたみかけるように質問する。
すると弟は口を閉ざしてしまった。
照れているのか、どうなのかわからないが正守はもう一度訊ねる。
「ねえ、良守。教えてよ」
できるだけ柔らかく問いかけた正守に、良守はついに顔を上げた。
良守の瞳はまっすぐ正守を見つめていた。
それは戦っているときのそれと少し似ている。
けれど、それよりは少し柔らかくて。
そういえば、なんどもその瞳は見た、と正守は思う。
「俺、は昔から、兄貴がしてくれること全部好きだったよ。俺は兄貴になんにもできないし、だからしたいって言われるならなんでも…そりゃ、まあ無理なこともあるけどその、」
しどろもどろになりながら、良守は言葉を紡ぐ。
まだ、求めていた言葉は出てきては居ないけれど正守は我慢できず良守を抱き寄せた。
いきなりの兄からの抱擁に、良守は驚き兄の名を呼ぶ。
「つづけて。教えて、良守の気持ち」
「…おれは、」
「うん」
「兄貴とこうしてるの、好き」
「うん」
「兄貴が俺とこうしたいって思ってくれるのが嬉しい」
「うん」
「兄貴が……すき、だ」
ぐったりとしている弟に正守は寝間着を着せ後ろから抱きしめて布団の中へと潜る。
「ごめん、今日は学校休みなよ。俺が父さんに言い訳するから」
「…そうする」
好きだ、という弟の言葉に正守はもう一度良守を抱いた。
抱かずにはいられなかった。
既に開かれていた身体は従順だったが、流石に疲れたのか弟の顔が疲労に満ちている。
それに申し訳ないと思いながらも、正守の心は今までにないくらい満たされていた。
「なんでずっと言ってくれなかったんだ?」
「なにが」
「好きって」
心も体も満たされた正守はずっと疑問だったことを口にした。
体力も限界だろう良守はそれでも律儀に兄と会話を続ける。
「言わなくてもわかるって思ってた」
「…わかんないよ」
「好きじゃないのに男が男に抱かれるか、バカ兄貴」
「だって良守、優しいからなんでもアリなのかと思って」
そう正守が言うと、良守が兄の腕を抓る。
痛い痛い、と正守が大げさに喚いて笑いながらゴメンと謝って抱きしめる力を強めたので良守は力を抜いて目を瞑る。
「優しい、とかよくわかんねーよ」
「ん?」
「俺は、したいことしてるだけだし」
それだけ言うと、良守はすっと眠りに入った。
正守は昔、添い寝した時のように優しく腕の中に包みながら今聞こえた弟の言葉を脳内で反復させる。
結局。
「俺がしたいことが良守のされたいことってことで解釈しちゃうよ?」
無理をさせた自覚があるので弟を起こしはせず、正守は呟くだけ呟いて自分も眠ることにした。
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4月半ばくらいにブログで連載してました。(タイトルは違いました)
結末だけ追加。
08/04/29
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