プールの匂い
部屋の外が騒がしくなったのを感じて、紅麗は時計を確認した。
五時半過ぎ。
今日は烈火と食事の約束をしていたのだ。
そろそろ来るぞ、と紅麗は簡単に机の上を片して立ち上がる。
「紅麗!」
まるで犬が主人に駆け寄っているように、嬉しそうに烈火は紅麗の部屋のドアを開けた。
その後ろでは社員が残念そうな顔をしているが、気にせず紅麗は開けられたドアを閉める。
なんだかんだ言っても、皆烈火が好きで構いたがっているのだ。
けれど、自分がいるときは誰にも渡さない。
「久しぶり!」
紅麗の仕事が忙しかったため、烈火が紅麗に会うのは二週間ぶりになる。
仕事で会えないことに関して烈火がごねることはまずないが、落ち込んでいる様子は手に取るようにわかるので、
紅麗も仕事の目処がついたらすぐ連絡をした。
本当は次の休みにでも、と思ったのだが直ぐに会えると思ったらしい烈火の期待を裏切りたくなくて、食事の約束
だけになってしまったが、時間を割くことができたのだ。
嬉しそうに自分に駆け寄ってきた烈火を抱きしめて、紅麗も久しぶりの烈火の匂いを堪能しようとした。
が、そこには少し湿ったような皮膚と、少し消毒臭い匂いがあって。
「…烈火」
「ん?」
自分に抱きついている烈火をそのままに、紅麗は烈火の首筋を舐めた。
けれど、その匂いの正体はわからない。
「ぎゃっ」
「色気がない」
あってたまるか、と叫びながら紅麗から離れようとする烈火を逃がさないようにしながら、紅麗はもう一度匂う。
覚えがない匂いで、気になって仕方がない。
「学校の帰りにどこか寄ったのか?」
「寄ってねぇ!つか、離せっ」
「もうしないから。なら怪我でもしたか?消毒クサイぞ」
しないから、と紅麗が言えば、烈火は暴れるのを止めて少し紅麗から離れようとするので、紅麗も腕の力を緩めてやり、
烈火の顔が見えるようにした。
「プールに入ったんだよ。授業で」
「プール?」
「知らねぇの?」
「知ってるが…こんな匂いなのか」
「入ったことねぇの?」
「ないな」
そうか、紅麗は学校に行ったことがないのだと烈火は思う。
森にずっと利用されていたから、戸籍も持っていなかったと言うし(どうやってかは知らないが今はちゃんと持っているらしいが)。
紅麗にも知らないことがあったのだとわかると不思議な気分になるが、それよりも知らないのが勿体ないな、と烈火は思った。
「森の屋敷にはなかったのか?」
「あったな。だが私は近付かなかった」
「ふーん。じゃあ、今度行こうぜ」
「…だが人が多いところは…」
顔に火傷があるためか、それとも色々あったせいか。
紅麗は人が多く集まる場所に仕事以外で行くことを好まない。
外食をする時も個室がある所を選ぶくらいだ。
「じゃあ、作れば?」
「作る?」
「あ、そういやこないだ億ションにプールがついてるってテレビでやってたぞ」
「ふむ」
「あーでも、それじゃあ住人と一緒になっちまうか」
「いや、そうだな…探してみるか」
烈火はほんの冗談のつもりだった。
人がいるのが嫌なら、人が少ない所を探せばいい。
例え値段が張っても、紅麗が何とかするだろうな、と思ったから。
だけど。
紅麗が引っ越しをしたのはそれから二週間後のことだった。
呼び出された烈火は愕然とする。
億ションの最上階全てが一戸で、プール付き。
二人きりで入れるぞ、と言った紅麗はとても嬉しそうで。
これからは発言に気をつけよう、と烈火は思った。
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億ションへ引っ越しマシタ。
いえ、紅麗にマンションって安っぽいなと…思いまして。
紅麗は森の資産を(違法な手続きで)使っています。
多分そゆ説明は…してませんよね…多分、はい。
07/06/19
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