忠誠を誓う
“…を君に…を”
“…………限り、………”
“だから、………”
眠っている紅孩児の頭の中に、声が響き渡る。
はっきとは聞こえないソレは、不快なようで、しかし心地いい。
その口調も、何か包まれているような雰囲気も心地いい。
もっとハッキリと聞きたいのは、言っている内容か。
それとも声自体か。
わからない苛立ちに、紅孩児はふと、目を覚ました。
汗を大量にかいていた。
暗闇に浮かぶ月と、硬いベッドだけが感知できる。
起きあがって紅孩児は溜め息を吐き出した。
自分は一体どうなったのか。
ニィに操られて、それでも自分を取り戻したはずなのに。
眠ると声が聞こえる。
それがニィの声かどうかはわからない。
違うと、思いたい。
いやらしくねちっこい、ニィの声が心地よく聞こえるはずがないと。
あの声はただ、人を陥れるだけの声だ。
眠っているときに聞こえる声とは違う。
だが、なら何故まるで擦り込まれたように声が聞こえるのだろう。
ニィしかいないはずで、こんなことができるのは。
だけれど、違うと信じたい。
そう思ったとき、ドアの外の気配に気付いた。
「独角兒?」
そう紅孩児が最も信頼している部下の一人の名を呼ぶ。
すると静かにドアが開いた。
「…大丈夫か?」
心配そうに零れた言葉と、温かい手燭に紅孩児は少し安堵した。
「お前の気が乱れていたから…悪夢でも見たのか?」
紅孩児が操作されたときのことがよっぽど堪えたのか。
それとも後遺症がないか、と心配なのか、独角兒は頻繁に紅孩児の様子を見に来るようになった。
それも、紅孩児が魘される夜に。
「いや、大丈夫だ」
「そうか…入っても大丈夫か?」
「ああ」
紅孩児が許可を出すと、独角兒は部屋に入る。
そして何処から出したのか、手ぬぐいを差しだした。
紅孩児はそれを無言で受け取る。
やはり、この心優しい部下には見破られる。
情けなさと、少しの嬉しさで紅孩児の口元が緩んだ。
既に冷たくなった汗を拭き取り、独角兒に戻す。
「ありがとう」
「紅」
布巾を受け取るなり、独角兒は跪いた。
「独角兒?」
「お前を、守れなくてすまん」
どうしようもない状況だったとはいえ、大事な主を最も危険な人物に渡してしまったことを。
独角兒はずっと後悔していた。
それが全ての始まりだったのだから。
元に戻った今も。
魘され続けている。
「俺にはもうお前の傍にいる資格はないとわかっているが、もう一度だけ」
独角兒が全てを言うまでもなく、紅孩児は寝着のままベッドを下り、独角兒の前に立った。
「お前の好きにしろ」
「……主、紅孩児に一生の忠誠を誓います」
紅孩児の言葉に独角兒が神妙に誓いの言葉を述べ、紅孩児の右足のつま先にキスを落とした。
忠誠の証である。
その瞬間、紅孩児の頭の中に声がまた響いた。
今度は、限りなく鮮明に。
そう、あの声はそう言った。
『君に一生の忠誠を』
そう言って、キスをした。
恭しく手の甲に、キスをした。
紅孩児からの言葉がないことに、独角兒は不審に思ってそっと顔を上げる。
そこには焦点の定まらない紅孩児がいた。
「紅!?」
慌てて起きあがり、紅孩児の体を揺らしながら名を呼ぶ。
「紅!大丈夫か!」
叫ぶ独角兒の声も、紅孩児には聞こえない。
紅孩児に聞こえるのはただ、あの声。
『君が僕を裏切らない限り、僕は君を愛そう』
『だから、僕は君だけのもの…』
その声は聞いたことがある。
何度も聞いた。
記憶の中の自分の視界が開けてくる。
その先にいたのは、
「紅!!!!」
独角兒の叫び声と同時に、紅孩児は我に返った。
しかし、独角兒の叫びによってではなかった。
視界が開けた先の記憶がとぎれた所為だった。
それでも、わかってしまった。
「…にぃ…」
「紅?ニィのヤツがなにをした!?」
「……いや、なんでもない」
「紅?」
紅孩児は独角兒を押して自分から離し、ベッドに戻ろうとした。
「紅?大丈夫なのか?」
「大丈夫だ…後遺症かなんかだろう」
「…そうか」
心配性な部下は、それでもそれ以上追求するのをやめた。
ただし、今回だけと自分に言い聞かせて。
紅孩児がベッドへ入ったのを確認して、静かに出て行った。
紅孩児は静かに目を瞑る。
浮かんでくるのは、粘着質の声ではなく。
あのにやけた笑みでもない。
ただ、紅孩児を愛そう、そう言った微笑んだ口元。
慈しむような、柔らかい声。
まだ記憶は曖昧だが、確かに紅孩児は愛された。
ニィ・ジェンイーに。
彼は知っていたのだ。
紅孩児を愛することが、彼を操り続けられることの出来る唯一の手段だと。
意志の強い紅孩児が、それでも自我を閉じこめているように。
いつも守るだけの立場の紅孩児が、求めていたもの。
包まれる温かさ。
それをニィは利用して。
偽りの愛を、演じた。
偽りだからこそ、あの温かさを与えられた。
その温かさが、紅孩児を苦しめる。
欲しかったもの、与えられたもの。
今、欲しいもの。
今、手を伸せないもの。
掴んでしまえば、全てが終わる。
まだ、自分は守るべきものがある。
与えられたものが、偽物でも。
その偽物故の温かさに、紅孩児は涙した。
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遠夜は、紅がニィの手に落ちてしまった方が楽だったんだろうなぁと思います。
紅は頑張り屋なので、うん。
そう言うところが大好きであり、もどかしい。
もっと、彼に味方してくれーーー!!
てなわけで、ニィが本気で紅を好きになればいいと思うし。
紅もニィの手に落ちてしまえばいいと思う。
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