再会


















良守は、家を出る前に必ずすることがある。
それは、玄関に飾ってある亡き兄の写真に挨拶をすることだ。

「いってきます」

7つ歳の離れた兄は、良守が小さい頃に亡くなっている。
物心がついて直ぐの記憶しかないが、厳しくて、でもそれよりも優しかった兄が良守は大好きだった。
だから、一日も欠かさず写真立て中の兄に挨拶をする。
その日も、いつもと同じように兄に挨拶をした後、コーヒー牛乳のストローを加えながら靴を履いていた。
スニーカーの紐を結んで、顔を上げると玄関に人がけが見え、こんな朝早くから客だろうかと扉を開けようとした時。
遠慮もなく、その扉が音を立てて開かれる。

「ただいま」

そこにいたのは、坊主で額に月の形の傷跡を持ち、着物を着た長身の男。
良守の耳には「ただいま」と聞こえたが、どう見てもここに住んでいる人間ではない。
弟の利守は良守より子どもだし、父は坊主じゃないし、祖父はもっと小さいし。
そもそも、まだ居間にみんないる。
じゃあ、誰だろうと良守が考えた時。

「正守っ!?」
「あ、父さん。ただいま」
「なに、正守かっ!」
「おじいさん」

父と祖父がある名前を呼びながら居間から急いで出てきた。
それは良守の亡くなったはずの兄の名前の筈で、良守は思考も動作も停止する。

確かに写真の中の兄も、記憶の中の兄も坊主だ…とぼんやり思うが、兄は死んだのに。
「これ、良守?」
「そうだよ。大きくなったでしょう」

自分の名前が出て、我に返って父の顔を見る。
父も、側にいた祖父もこの上なく嬉しそうな顔をしてはいるが、死んだはずの兄の名を名乗る人物を兄だと認識していてなんの疑問など持っていない様子だった。
なぜだ。なぜだ。
良守は頭の中で自問するが、答えなど最初から持っていないことに気付いていなかった。

「久しぶりだな、良守。なんだ、ぼーっとして。兄ちゃんの顔、忘れたか?」

ハハハハ、と笑いながら、兄は良守の頭を軽く叩いた。
確かに、兄に遠い昔こんなことされたような気がして、良守の混乱はピークに達し、

「お、お前っ死んだんじゃなかったのかよっ!!??」

と、叫ぶ。
その内容に、一同は一瞬だけ黙り込んで、そのあと爆笑が巻き起こる。
一人、父は申し訳なさそうな顔をしていたが、良守にはそれに気付く余裕はない。
爆笑の意味が分からず、良守は兄を見たり祖父を見たり、靴箱の上にある写真を見たり。
そんな様子が余計兄を笑わせていることを知らない良守は、再び。

「なんだよっなんなんだよっこの写真は一体なんだよっ」

と叫んだ。
兄は笑いを我慢しつつ何かを言おうとしているが、やはり笑いで何も言えなっている。
数分その状態が続き、やっとまともに口がきけるようになった兄が、まだひーひー言い
ながらではあるが、良守、と呼んだ。
それに、混乱をそのまま顔に貼り付けたままの良守が反応して、兄を見る。

「お前、俺の葬式に出た?」
「ぇえ?」
「俺の墓に参ったことある?」
「あぁ?」
「それ、嘘だよ。俺が家を出るのをお前がごねたから、父さんに頼んだんだけど」

まだ信じてたなんて、と兄が再び笑い出す。
良守の混乱は収まってはいなかったが、兄の一言だけが脳に浸透していくのを感じていた。

「う、嘘」
「そう、嘘。でたらめ」
「み、」
「み?」
「みんな嫌いだ〜〜〜〜〜っ」

良守にとっては精一杯の台詞だったのだけれど、兄に溜めて言うのがそれか、と余計面白がられているのもしらず、良守は半泣きの顔で自分の部屋に戻って閉じこもってしまった。
父が慌てて良守の後を追う。
正守はまだ笑っていた。
祖父は少し困ったような顔をしながらも、孫が帰ってきたことを喜んで、正守を居間へ通す。
利守は、その様子をワケも分からない顔で見ていたりしていた。
良守が自室から引っ張り出されるのは、それから小一時間経ってからである。













自室に閉じこもった良守に、父、修史が開かない襖越しに声を掛けるが、結界には防音を施してある為、良守は反応しなかった。
修史は溜め息を一つついて、あとで説明しようと諦める。
今は、久しぶりに話をしているだろう義父と息子に茶と茶請けを出す方を優先させた。
修史が高めの茶と、正守が土産に持って帰った最中を持って今へ入ると、正守がそれに気づき、良守のことを聞いてきた。

「襖が開かないから、結界を張って閉じこもってるみたい」
「そうかー悪いことしたなぁ。学校だったんだよね?今日は」
「うん、でも良守にも話があるんでしょう?」
「そうだね、良守にはきちんと話さないと」

でも、もう少し放っておこう、と正守が言うので、修史も数年ぶりの親子の会話を楽しむことにした。





その頃、良守は部屋全体に結界を張ってその真ん中に敷かれた布団の中で蹲っていた。
ショックが激しくて、頭の中がグチャグチャになって泣きそうになっている。

-----俺の葬式に出た?

兄の言葉に、必死に過去を思い出そうとするが、ただ兄がいなくなったという事実を告げられ途方もない悲しみに喚いて、泣いて、父と祖父を困らせた記憶しかない。
それが兄が亡くなった、と言われたからか、それとも出て行ったからか、というところが思い出せなかった。
肝心な所なのに、と良守は下唇を噛む。

しかし、そのとき以降、父も祖父も兄が亡くなったということを口にしなかったのは確かだ。
自分はそう信じ込んでいたから聞きもしなかった。
もしかしたら自分がいないところで話をしていたのかも知れない。連絡を取っていたのかも知れない。
そう思うと悔しさだけでなく、哀しみも湧いてくる。一人だけ知らなかったのか。
弟が物心ついた頃には兄はいなかったから、利守はどう理解していたのだろうかと、ふと思った。
利守にも良守は何も言わなかった気がするし、利守の写真立ての人物について良守に聞き立てはしなかった。
ただ、良守は毎日写真を見て、挨拶をしていただけだった。

思い返せば、自分の単純さに泣けてくる。
その次に、厳しかったけれど優しかった兄があんな風に自分を笑っていたことに哀しくなる。
大好きだった、優しくて、真面目で、自分の理解者で、「共鳴者」であった兄が、あんな軽薄そうに育っていたとは。
勿論、兄が出て行ったのは記憶が正しければ12歳で、良守は5歳だったから、それから9年も経ったら性格だって変わって当たり前だろうけれど、良守にはショックだった。
兄を大好きだ、という感情までなくなりそうで、そんな自分も嫌になる。
どうせなら、二度と帰ってこなければ良かったのに。
と、酷いことを思っても、やっぱり大好きだった兄が生きていたこと、また会えたことは嬉しかった。

そんな色々な感情がひしめき合い、余計良守を混乱させる。
混乱が頂点に達した時、良守はややこしくなった思考を放棄した。
日頃の寝不足もあったし、学校ももう今日は行けと言われないだろうと楽観的に考える。
寝て起きたら、夢でした。
そうなってたらいいな、でもそれはそれで嫌だな、と一瞬だけ思って、良守は制服を着たまま二度寝に入った。










良守はぐっすり寝入っていたが、自分の結界が壊されたことに気付き、はっと目を覚ます。
今日は誰も指定していなかったから、祖父が飛び込んでくるかと思い咄嗟に身体を起こすが、襖を開けたのは兄だった。
それを良守はやっぱり夢じゃなかったという思いと、単に眠りを邪魔された不快感で睨む。
兄は軽く笑い流しながら、

「おじいさんが呼んでる」

とだけ言うと、良守を置いて居間に戻っていった。
良守は少しだけ考え込んで、制服から部屋着に着替える。
シワになってしまった制服に一瞬眉を顰めたが、ハンガーにかけるだけで終わった。
祖父の話の内容は、兄についてだということは良守もわかっている。
今夜の仕事から兄が合流するのだろう、きっとその説明だ。
それからきっと、また怒られるのかもしれない。
怒られるようなことはしてないつもりだが、祖父から呼ばれるということに説教のイメージがついているのは、結局怒られるようなことをした覚えがありすぎてわからないだけということに良守は気付いていなかった。

それでも不機嫌に居間の襖を開けると、祖父の向かいの席に座らされ、父が茶と茶請けの菓子を置いてくれた。
兄は、良守の右斜めに座り父はその真正面に座った。
弟の姿がないのは恐らく学校に行っているのだろうと思った。

「話というのは正守のことじゃ」
「わかってるよ。今日から一緒に仕事するんだろ」
「そのこともじゃが…お前、自分の共鳴者が誰か覚えておるか?」
「兄貴だろ」

烏森の結界師は、基本的に二人一組で仕事をする。
その相手を共鳴者といい、同じ場所に方印が現れることで相手がわかるようになっている。
共鳴者はその呼び方の通り、二人が共鳴してお互いに影響を及ぼしあいながら術を使う。
一人で戦うより、二人でいる方が術の力も実力以上に強まる。逆に一人で戦うと術の力は半減する。
また、一方の怪我や体調不良は相手に影響する。
正しくは、それらを分け合うように同じダメージを同じように受けるのである。
その相手は大抵兄弟や近しい親類の間で産まれ、良守の共鳴者は兄である正守であった。
しかし、正守は良守が正式に結界師になる前に家を出たので、まだ一緒に戦ったことはない。
共鳴者のいない結界師は半人前、もしくは引退となる。
しかし、弟である利守には勿論良守と違う場所に方印が出たが、まだ相手が産まれていないのか同じ場所に方印があるものは見つかっていない。
それでなくとも利守はまだ幼くて術を使いこなせないので、良守は一人で妖退治をしていた。
いつも二人でいる、隣の姉妹を羨み、また兄を恋しいと思いながら。
その気持ちもあの笑いで軽くあしらわれたようで、良守はそれも気に入らない。
長年の自分の気持ちを返せと言いたくなる。
だからこの話をさっさと終わらせて、また眠りたい。

「お前には本当のことを言ってなかったがの。正守はお前の共鳴者ではない」
「はぁ?」

繁守の言葉に、良守は思わず兄を見た。
兄はそれににこり、と笑って返す。
それから良守は自分の右手の四角い痣を見た。
じゃあ、これはなんだっていうんだと。
兄貴にもこれはあったじゃないかと、思ったが言えなかった。
それは確かに記憶に焼き付いている。けれど、記憶違いじゃないとは言えなかった。
兄が死んだと思いこんでいたように。

「じゃ、おれの共鳴者は…?」
「お前に共鳴者はいないんじゃ」
「意味分かんねーんだけど」

だって俺には方印があるじゃん、とわけのわからなさに半ば泣きそうな顔をして、良守は祖父を見た。
祖父はそれに、気の毒そうな顔をして溜め息を一つ吐く。

「お前と正守は、犠牲者と戦闘機になる」
「な、何言ってんの?何ソレ」
「良守、指南書読んでないの?」

兄が横から言ってくるのに、良守は力なく「読めない」と言うと苦笑された。
それから、勉強しろとも。

「つまりね。共鳴者は全てを分かち合う。でも、俺達はお前が全てを背負う」















犠牲者と戦闘機。
それは共鳴者と似て非なるもので、同じところに方印が出たもの中でも、犠牲者が全てのダメージを請け負い、戦闘機は戦いを全て引き受ける組み合わせを言う。
共鳴者が全てに置いて平等であるのに対し、戦闘機は犠牲者の命令に絶対服従でしか存在し得ず、戦闘機自身も多くは犠牲者による支配を望む。
また、犠牲者の戦力は元々があまりないので、戦闘機の有無に左右されないが、戦闘機は共鳴者と同じように犠牲者なしの場合では戦力が半減するし、犠牲者がいればフルパワーで戦うことが出来る。
そして犠牲者に選ばれたものは、ほとんど烏森で死ぬことがない。
それ故かどうかは不明だが、犠牲者と戦闘機の組み合わせの結界師が産まれるのは稀だという。

それが一通り正守が述べた、説明だった。
けれど、良守には腑に落ちない点がたくさんある。

「俺、犠牲者?」
「そうだ」
「俺、一人で戦えるんだけど」

良守は正守がいない間、ずっと一人で戦ってきた。
確かに、力が満ちているというような気分になったことはないが、共鳴者を持つ隣の姉妹が偶に驚くほど、一人でもそれなりに強い妖を滅することもできる。
だから良守は、自分が戦闘機の間違いではないか、と言う。
しかし、繁守も正守も首を振った。

「お前は例外、なのじゃ」
「例外って」
「良守、お前の潜在的な力は、俺よりも強い」
「おかしいじゃん、それっ。だってじゃあ、なんで兄貴が俺の戦闘機なんだよ」
「それはわからん」

祖父や兄にわからないことが、良守に理解できるはずがない。
仕方なく、良守はもう一つ重要なことを正守に聞いた。

「俺がいないと、兄貴は力が弱くなるんだろ?じゃあなんで出て行ったんだよ」
「それは」
「おじいさん」

繁守が何かを言おうとして、正守が制した。
それに不満を持って、良守は正守を睨むように見る。
すると正守はにこりと笑う。

「お前を守るためだよ」

その笑顔は昔の、まだ幼かった良守を優しく包んでくれた頃の兄と同じで、一瞬気後れしてしまう。
その隙に、正守は再び説明をし出した。

「俺はお前より弱い。けれど俺のダメージは全てお前に行ってしまう。俺は強くならなければいけなかった。だから、母さんについていった。わかる?」
「母さん?」

矢次に説明され、良守は混乱しかけるが一つの単語にピクリと反応してしまい、他のことはどうでもよくなってしまう。

「母さんと一緒だったってことか?」
「ああ、それも覚えてなかったのか。俺が出て行ったのは義務教育を終える前だっただろ?だから母さんが留まる土地の学校に通ったりしたんだよ。勿論、転校した回数は尋常じゃないけどね」

自分が母を恋しがっていると自覚はないにしてもマザコンの気がある良守は、少なくとも自分より母と一緒にいることが出来た兄に嫉妬の感情を覚える。
しかし、その代わり正守は父、祖父、弟と離れなければならなかったし、それも自分の為だと言われると文句も言えない。だけれど、やはり羨ましかった。

「母さんはね、お前が7つになって俺達が正式に契約を結ぶ前に、と考えたんだ」

しかし、正守は良守の心情を理解したようで、苦笑しながらも説明を加えてくれる。
それがわかった良守は少し恥ずかしくなり、下を向きながら、けいやく、と呟いた。

「契約、したらなんか問題あったのかよ?」
「契約したら、離れても俺のダメージがお前に行くんだよ。それに俺の力も半減するし」

契約というのは、結界師が自分の共鳴者などと正式なパートナーとなることである。
それ以後は二人は決して離れることがないし、できない。
それは大抵幼い方の結界師が7歳になったときに行われることになっている。
しかし、契約以前なら影響を及ぼし合うこともなく、離れても戦力が半減することもない。
ただし契約をしなければ本来持っている力を発揮することはできず、半人前として扱われ、烏森を任されることはないので、大抵は契約できるようになったらすぐ行われるものである。

「今日、契約するのか?」
「するよ。お前がよければね」
「…なんで俺、なんだよ」
「だって俺にはお前がいないといけないけれど、お前には俺が必要ないと言えばそうだからね」

突き放されたいい方のように感じて、良守は顎骨をしめた。
確かに、話を聞いた限りでは契約て不利なのは自分の方だ。
一人で戦えるのに、二人分のダメージを引き受けるなんて。
けれど、ずっと正守が生きていればいいのにと思っていたのに、その気持ちを否定されたようで哀しくなる。

「でも、契約しないならお前だって」
「違うよ。俺はお前の戦闘機だ。お前がいないと駄目なんだよ」

正守の言っていることが良守には上手く理解できなかった。
契約をすれば、自分が側にいることで正守の術の力は強まる。
けれど、自分がいなくても正守が十分強いことは良守も知っている。
良守よりも弱いと言っているけれど、幼い頃に聞いた正守への賞賛の言葉は数限りなかった。
それなのに、なぜ。
どうしたらいいのかわからなくなり、繁守を見るが、繁守は腕を組んだまま無言で二人を見ていた。
そして暫く部屋を沈黙が支配する。
その沈黙を破ったのは、正守だった。

「良守。お前が望めば俺はお前の為に戦う。全てからお前を守る。それが、戦闘機が望むことだよ」

良守には自分の意志で正守を動かすことなど出来ないと思う。死んだと思っていた兄が生きていたということだけでも混乱するのに、その兄はまだ子どもである良守には重すぎる言葉を平気で吐く。
それでも、正守の目を見れば本気で自分が望まれていることがわかる。
自分だってずっと、兄を望んでいたんだと伝えたかった。
でもそれはまだ、正守のようにはっきり言葉に出来る程良守の中で整理されていない。
だから、良守は一言だけ告げる。

「契約、する」

そして、その晩に契約の儀式が行われることになった。























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初っ端から兄が亡き人とかで帰ってきて意味不明でごめんなさい。
長くなると思いますが、おつき合い頂けますと幸いです。

二人一組、犠牲者、戦闘機→loveless
共鳴者→取り敢えず創作

ってかんじです。
サクリファイスは日本語で。

07/06/14〜17 初出
07/06/19   改訂
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