「方印を」

儀式、というのは至極簡単なものだった。
四方に盛り塩をした布の上に片方がまず二人を覆う結界を張り、その上にもう一つ少しだけ大きな結界を張る。
そのなかで向き合い、方印を触れ合わせるだけ。
その後のことはやってみればわかる、と繁守は二人に言った。

道場に正装をした良守と正守とを囲む結界を良守が最初に張って、その上から正守が同じくらいの大きさで作った。
その周りに繁守と修史と利守が同じく正装をして、それぞれ片手に御酒を持っている。

繁守の合図で良守と正守が右手を合わせる。
その瞬間、方印を通して正守の力が良守の中に入り込み、同じ分だけ良守の力が正守の中に入っていく。
今までにない違和感に思わず手を放しそうになったけれど、それが段々落ち着いてくると良守の中でその力が一つになっていくように感じた。
暫くそれに耐えていると、視界の端で良守の結界と正守の結界の隙間が狭まり、一つになるのが見えた。
その瞬間、良守は生まれて初めて力の充足感というものを感じた。
これが、儀式。
二人が一つのものになるということ。
それを体の芯から良守は理解した。

「今宵より、墨村正守、良守を烏森家付き結界師として任ずる。では、盃を」

結界が一つになったことを確認して、繁守は口上を述べる。
それから繁守、修史、利守の順で結界に御酒をかけて儀式は終わった。

結界を解くと、結界の上に残っていた御酒が二人の上に注がれる。
冷たいしアルコール臭かったが、それよりも手を放すことが出来ない。放したくない。
手を放せばまた違うものになってしまうような気がして、放したくない。
正守も同じように思っているようで、握り合わせることのできない右手同士をぎゅっと掴まれる。
繁守は溜め息を吐く。

「ホレ、周りの酒を拭かんか」
「え、俺らがやんの?」
「当たり前じゃ」

繁守がそう言うと、修史が用意していたタオルを二人に渡し、ぞうきんで周りを拭き始めた。
それを見た良守は手を放して慌てて修史からぞうきんを奪う。

「いいよ、俺がやるから」
「そう?」
「うん」

離された右手を正守は残念そうに見つめたが、すぐにタオルで良守の頭を拭いた。

「お前は風呂行ってきな。ここは俺がやるから」
「いや、でも」
「酔う前に酒を流した方が良い」

子ども扱いするな、と言いたかったけれど確かに頭から漂ってくるアルコールの匂いはキツイ。
それにやってくれると言っているのだからいいや、と思って良守は素直に頷いて風呂へ向かった。

ドタドタという足音が小さくなっていくのを聞きながら、正守は相変わらずだなと思う。
良守は自分の後ろを金魚の糞の如くついてきていた頃となにも変わらない。
このままずっと変わらないでいて欲しい、その為なら何でもする覚悟はある。
その為に今まで生きてきたのだから。

「正守」

ぱさり、と床を拭いている正守の頭にもタオルが落ちてきた。
それを外しながら上を見ると、祖父が立っていた。

「ありがとうございます」
「あまり、無茶をするでないぞ」
「ええ、もう怪我なんてできませんし」
「…二度目は耐えられんじゃろう」

繁守は誰か何に、と言わなかった。
しかし、その場にいた全てのものが理解するに足りる言葉だった。
勿論、正守には当然の如く。

「大丈夫ですよ」
「そうか」
「ええ、その為に戻ってきたんですから」
「…そうか」

唯一無二の相手がいなくなる、ということは烏森の結界師にとって自分の死すら意味する時がある。
相手を失った喪失感に耐えられないのだ。
繁守はそれを息子や孫との為に耐えた。
だからその哀しみが孫達を襲うのが恐ろしい。
まして、今は何も知らない子どもではない。契約をすませてしまったのだ。
後戻りはできない。

「無茶はしてくれるな」
「大丈夫ですから」

それでも、繁守の表情は曇ったままだった。
















寝ぼけ眼の墨村付きの妖犬を引き連れて烏森へつくと、既に隣の姉妹と妖犬が先に到着していた。
それはいつものことのようで、誰も何も言わない。
隣の姉妹より先に妖犬が正守の匂いに気付いたのか、寄ってきた。

「まっさん、久しぶりだな」
「ああ、白尾も元気そうで」
「あら、帰ってきたんですか」
「お、お姉ちゃんっ」

意外そうな、残念そうな声で隣の長女である時音が言う。
それを妹の百合奈が宥めている様子を見て、正守は苦笑した。

「うん、今日からだからよろしく」
「せいぜい足を引っぱらないよう頑張って下さいね」
「お姉ちゃん!」

彼らの様子を見ながら、良守は正守の後ろでつまらなそうな顔をしていた。
知っていたんだ。
彼女たちは正守が生きていることを知っていた。否、それが当然だ。
自分の愚かさを突きつけられているようで、良守の心臓が痛くなる。

「良守」

時音に声をかけられ、良守がそちらを向くといつも怒っているような彼女の優しい顔があり、良守は一瞬それにみとれる。
彼女は、良守の憧れだった。強く、芯のある二つ上の女性。

「頑張りな」
「あ、うん」
「じゃあ、あたし達は学校の裏に行くからね」
「またね」

姉を追って百合奈が良守に声をかけてから校舎の裏へと消えていった。
さっきまで痛かった良守の心臓は、何か温かいもので支配される。
心配されていたのだと、わかったから。

「嫌われてるね、俺」

そんな良守をふり返り、苦笑を貼り付けたままの正守に良守はん?と首を傾げた。
そう言えば昔の時音は正守を慕っていたように思う。
歳の近い三人からは随分大人のように感じていた正守を、時音も百合奈も慕っていた。
勿論、正守がいたのは墨村家と雪村家の本家争いなど三人とも知らない頃だけれど。

「何かしたんじゃねえの」
「んーなんだろ」

だから、時音のあの態度の理由は良守にはわからない。
いつも怒ったような時音の顔は、今日に限って自分には優しくなっていて。
兄にはきつくなっていた。
なにがそうさせるんだろう、と二人して悩んでいた。



暫く唸っていると、二人は烏森の結界師にしか分からない妖の侵入を感知した。

「斑尾、どこだ!?」
「裏庭だね」

時音と百合奈が向かった方角だと理解すると同時に良守は結界を足場にしてそちらに向かう。
幼なじみの二人は、良守にとってかけがえのない存在だった。
正守がいない自分を支えてくれたのが二人だった。
だから良守は何に代えても二人を守ると決めていた。
二人とも強いと分かってはいるのだけれど、感知した妖の気配は小物ではない。
大事にならないうちに、と自然良守の足は速まった。
しかし、裏庭に着いたとき、良守が聞いたのは百合奈の悲鳴だった。

















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百合奈ちゃんも結界師になっちゃいました。



07/08/16
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