椿油
浦原喜助のところに恋次が居候をして一週間がたったころだった。
風呂上がりの恋次は、一人でいる浦原を発見する。
まだ、今は何も聞けそうにない。
そう思い、彼の後ろを通り過ぎて、宛がわれた部屋へ戻ろうとした。
しかし、
「髪、痛んでますよ」
「っ」
いつのまにか浦原は後ろから、恋次の下ろした髪を軽く一房、掴んでいた。
「ウチ、シャンプーとかリンスとかあるでショ。石鹸じゃ折角綺麗な色の髪もこの通りで…」
「触るなっ」
パシッと音を立てて、浦原の手は払われる。
恋次が浦原の方へ振り向いたせいで、浦原の手から離れていたにも拘わらず。
自分を見下ろしている筈なのに、睨み上げるような恋次に浦原は苦笑する。
「…おやおや」
「…俺の髪に、触るな」
「拘るほど、綺麗じゃありませんケド?」
「とにかくっ二度と触るな!」
怪訝そうな、残念そうな、それなのに少し嬉しそうな。
人をからかって、楽しそうな。
そんな浦原を見て、一瞬だけ恋次はある人と重ねてしまった。
忘れたくて、忘れたくなくてどうしようもなかった彼を。
-----恋人だと思っていた人物を、目の前の人間に重ねたことを自己嫌悪した。
「現代のものがお嫌いでしたら、香油でも用意しますよ」
香油、という単語に一瞬恋次は反応するが、それには何も答えずに踵を返す。
浦原は一つ溜め息を吐いて、部屋へ戻る恋次を見送った。
「椿油でも仕入れますかねぇ…」と呟きながら。
部屋に戻った恋次は、布団に寝転がり髪を照明に翳す。
夜でも明るい蛍光灯のおかげで、髪の傷みが恋次にもはっきりとわかった。
つい、この間までは。
紅い髪の毛はもっと綺麗に光っていた。
彼は、恋次の髪が痛むを嫌い、会う度に、夜を共にする度に、香油を恋次の髪に塗っていたから。
彼とは、藍染惣右介のことである。
「椿油…」
十一番隊に入った後からは、忙しくて会うこともままならなかった。
だから、恋次自身が偶に髪に塗り込んでいた。
その際には、藍染から与えられた最高級の椿油を使った。
----好きだと言ってくれたから。
恋次の長く紅い髪が、艶やかに光るのが好きだと。
藍染は、目を細めて言っていた。
しかし、それも過去の話。
現世に来てからは、髪を手入れする気になれなかった。
すれば、思い出す。
裏切られたわけではない、騙されたわけでもない。
ただ、掌で踊らされていただけの事実を。
照明の光に、白っぽく反射する痛んだ髪からは、なんの香りも漂っては来ない。
もう藍染に与えられた椿油の香りなど残っていない。
残っていないからこそ、それに触れた浦原に腹が立つ。
恋次は乱暴に、浦原が触れたあたりの髪を刀で切り落とした。
次の日は、虚も出ることはなく、平和な一日だった。
ルキアに一護の家に来てはどうだ、と誘われたが断った。
かといって、浦原の家に戻る気分でもなかった。
恋次の心は、藍染を求めていた。
そしてそんな自分に、恋次は嫌悪した。
元々、帰る場所なんて恋次にはなかった。
ルキアを手放したことだけ後悔して、追いつこうと必死だった。
そんな中、恋次に与えられた、帰る場所は儚く消え去った。
いや、やっぱりそれも元々なかった。
幻覚にすぎなかったのだと、恋次は自分を納得させようとする。
しかし、まだ時間が足りなかった。
恋次が生きてきた中で、初めて無条件に与えられたもの---。
それが藍染からの愛だったのに。
苦しくなりながら歩いていると、ふと恋次は、少しは必要だろうと上から与えられた現世の金を思い出した。
浦原に頼むのは癪だ。
他に買うものもない、だろうと思うし。
椿油の香りを忘れる為に、何か髪につけるものを探そうと思った。
どこに行けば買えるのかは、一護にでも聞けばいい。
一度断ったが、やっぱり一護の家に向かおうと、恋次が顔を上げた時。
信じられないものが、そこにはいた。
「藍染…隊長…」
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07/02/18
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