人魚姫
京楽が目覚めたとき、差し込んできた朝日に目を奪われた。
石造りの壁に、白い清潔なシーツが敷いてあるベッド。
起きあがると、尾ひれが二つに分かれて別々に動いたような感覚に陥り、慌てて確認する。
そこには足、が生えていた。
今まで一つしかなかったものが二つになり、別々に動くというのはおかしな感覚で、屈伸を何度もしてみた。
身に纏っているものは、青年も来ていた服装と同じようなものだった。
立てるかな、と思いベッドから降りようとすると立ち方が分からない。
少し考えて、どうにかなるかと尾ひれを動かすように跳ね上がる。
勢いが良すぎて転びそうになったが、前のめりになり、反射で足を使ったおかげで使い方が何となく理解できた。
朝日が差し込んでいる窓に向かってよたよたと歩く。
そこから見えたものは海。
海を上から見たことのない京楽は一瞬それが何かわからなかった。
海から反射する陽射しに目を細めながら、潮風とその匂いでそれが海だと理解する。
京楽は、城の見える海岸の岩場へ青年を下ろした。
そろそろ自分の王宮へ戻らないといけないのだが、心配で中々その場を離れることが出来ない。
どれだけ時が経ったのか、日が沈みかけた頃に遠目で人影を発見する。
どうやって見つけて貰おうか考えた末、青年のペンダントについてあるコインで太陽の光をその人影に向かって反射させた。
何度か目でその人影はこちらに気付いたようで、近寄ってきたので京楽は安心して海へ戻っていった。
しかし、それから3日間の京楽は青年のことが頭から離れなくなってしまっていた。
海の上の世界への憧れもあったのだろう、もう一度青年に会って、話がしたい。
色々なことを聞きたい、そう思うようになっていた。
その為なら人魚だってやめてもいい。
元々海の底のことに興味を持っていたし、それなら今がいい。
長居寿命を捨てて、人になって人として生きて、彼と共に。
そう思うようになり、京楽は浦原へ薬を頼みに行った。
浦原から解毒剤と共に人間になる薬を貰うまで、思いは膨れあがった。
会いたい会いたい。
もう一度その日に焼けた肌を見て、閉じられていた瞳の色を見て、紡がれることのなかった声色を聞きたい。
それはまるで恋のようだった。
浦原に薬を手わたれた日、急いで青年を運んだ岩場へ向かった。
そこなら青年に会える可能性が高くなると考えたからだ。
月明かりに照らされた城を眺めながら一気にビンの中の液体を飲み干す。
それは喉が灼ける程熱く、すぐに体、特に足に壮絶な痛みが走った。
それに何とか耐えた後、京楽は気を失った。
そして気付けば知らない建物の中。
やっと、ついた。
でも、ここはどこだろう。
誰かが倒れていた京楽を運び、服を着せてくれた。
ここまではわかるのだが、一体誰が。
それにしても高い建物だなぁ、と下を見下ろす。
今まで海面以上の高さには行けなかったので、海を見下ろすというのは新鮮だ。
そう思っていると後ろで物音がした。
反射的にふり返ると、ドアがゆっくりと開き人が入ってくる。
そこにいたのは、あの青年だった。
京楽は信じられない事実に、呆然とする。
どうやら、あの青年が自分を拾ったのだ。
「ああ、起きて大丈夫か?」
京楽が経っていることに気付いた泰虎は微かに笑いかけて具合を聞いた。
それに対して京楽は何も答えられなかったが、泰虎はいきなり自己紹介もなければそうだろうと思い、持ってきた水桶を側に置く。
「俺は泰虎。あなたはそこの海岸の岩場に打ち上げられていたんだ。それで俺の家に運んだんだが、あなたは服も着てなかった。海賊に襲われたのか?」
喋っている。声を出している。瞳は綺麗なグリーンだった。それに見取れて京楽は何も言葉が出ない。
それに泰虎は心配になったのか、側へ近寄った。
「言葉が分からないのか?」
違う、と京楽は言おうとした。
言葉は分かる。
そう言おうとして、喉に違和感を感じた。
声が、出ない。
喉に手を当てても、何も変わらない。
--副作用。
浦原の言葉が頭をよぎる。
そうだ、副作用が出るかも知れないと浦原は言っていた。
しかしそれが何か分からないとも。
薬を飲む時の度が灼けるように熱くなったことを思い出す。
京楽は顔面蒼白になった。
話せなければ何も伝えられない、会話が出来ない。
自分のことを分かって貰えない。
「えっと、どうしたら分かるだろうか」
困ったように自分を見る泰虎に、京楽も困惑する。
話せないと言うことをどう伝えたらいいのだろうと。
声が出ない、そう口を動かしても音が出なくて、口を動かすのを止める。
それでも伝えないと、と思い口を開く。
それを何度か京楽は繰り返して、口をぱくぱくさせていると、泰虎は暫く目をパチパチと瞬かせた。
「もしかして、喋れないのか?」
「!!」
やっともらえた一言に、京楽は何度も首を縦に振る。
「言葉は分かるんだな?」
それにも肯定すると、泰虎はホッと息を吐いた。
それからちょっと待っていてくれとその場を後にする。
暫く待っていると、泰虎が何かを持ってきた。
「ノートとペンだ。字は書けるか?」
頷いて簡素なノートを受け取り、ベッドの横にあったボードを台にしてノートに「京楽春水」と書く。
分かるだろうか、と思って泰虎の顔をうかがうと、少し考えて。
「きょう…らく?はる、…はるみず?」
ととんちんかんな読み方をされてしまった。
仕方がないので、もう一度「きょうらくしゅんすい が僕の名前」と書く。
「京楽さんか。文字は俺の国と同じだな、この国の人か?」
今度は首を振って、「海」と書いた。
けれど、海から来た人魚とバレたらあまりよくないと思い、「の向こうの国」を付け足す。
すると、泰虎は感嘆の声を上げる。
「へえ、海の向こうにも俺の国と同じ文字を使う国があるのか」
どうやら海の上での国々では、文字が国によって違うようだと京楽は理解した。
京楽の国では、他の国との接触を断っているので知らなかった。
この国と京楽の国が同じ文字を使っているのが何故かは分からないが。
「話せないのは前からか?」
その問いには、京楽も一瞬考えてから「起きてから」と書いた。
話せなくなった原因は薬の所為だとわかっているが、わかっているから言うわけにはいかない。
だけれど生まれてから喋れなかったわけではないから、変な嘘をつくよりはいいと思ったのだ。
「そうか、じゃあまず医者に診て貰おう。詳しい話はそれからだ」
そう言って、泰虎は医者を呼び寄せた。
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やっとご対面です。
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07/08/05
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